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ココ・シャネルとパールの関係 中編

ココ・シャネル

世界でもっとも有名なフランス人女性といっても過言ではないシャネルの半生と影響を及ぼした二人の男について、前編でお伝えしました。

シャネルとパールの前編を読んでいない方はコチラから

1912年にココシャネルが運命の人、アーサー・カペルと出会い、翌年ココシャネルが30歳の時、パリにシャネルの帽子店第1号をオープンさせました。
シャネルの歴史は帽子からだったんですね。

シャネルの時代

帽子屋をオープン後、婦人服のデザインも始め、カペルから、イギリスのスポーツのユニホームの素材のジャージーを入手し、その動き易いジャージー素材を取り入れたドレスで成功。1914年に帽子店をメゾン「シャネル」としてリニューアルオープンする。1915年には「メゾン・ド・クチュール」をオープンし、翌年シャネルが初のコレクションを発表。

その後、ミニスカートの原型となったといわれるギャルソンヌ・ルックやジャージー素材のシュミーズドレスを発表、パリ以外にも本格的なクチュール店をオープンし、ココ・シャネルは順風満帆の時を迎えようとしていました。
しかし恋人のカペルは、翌年の1919年シャネルに会う途中で自動車事故により帰らぬ人となります。このとき、ココ・シャネル36歳。

カペルを亡くした失意のなか、ココ・シャネルが傷ついた心を癒すため、イタリアのヴェネチアを訪れます。

「夜の風、水の音、空と月、それが私の心を癒してくれた」と当時を振り返るシャネル。

傷が癒えはじめたシャネルは、相棒を失い、一人でファッションの世界に戻ってきます。

「人生がわかるのは逆境のときよ」

パリに戻ったシャネルはすべてをビジネスに注ぎ込みます。

そして、シャネルの代名詞となる香水、調香師エルネスト・ボーによって生み出された、「CHANEL N°5」を発表。

時の人となったシャネルは有名人のサロンで多くの人脈を得て、後に愛人となるイギリスのウェストミンスター公爵と出会い、彼からもらった宝石類から着想を得て、イミテーションジュエリーを発表。

現代では当たり前のイミテーションジュエリーをただの模造品からファッションへと昇華させました。
シャネルがいつもつけている重ねづけのパールもイミテーション・パールが多く、パリのイミテーション・パールの技術を大きく発展させることになります。

また、イギリスの紳士服の仕立てや素材を女性服に応用し、スポーティでシンプルな「シャネル・スーツ」や、黒の底寸の「シャネル・パンプス」鎖と革のストラップで知られるキルティングの「シャネル・バッグ」など次々とシャネルスタイルを発表。
ここにシャネルの全盛期を迎えます。

「私が着たいものを作って着たら、時代があとからついてきたの」・・・

しかし、人類史上最大の戦争の足音とともに、シャネルの人生に暗い闇が忍び寄ってきます。

このつづきは後編で。

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